子育て

突発性発疹と思っていたらまさかの川崎病?!生後3ヶ月の息子が生死をさまよった川崎病闘病記

前日まで熱も出したことがなく元気だった末っ子(0歳3カ月)に突然発疹が出て、その後高熱が出ました。

のちに川崎病だったことが判明しましたが、かかりつけ医の言うことに従って様子を見ていたら手遅れになるところでした。
どういった症状が出て、どのように治療を進めていったのかを時系列でまとめました。

我が子の様子を記録するために書いたものなので読みづらいかもしれませんが、ほかのお子さんが同じような症状を発症した場合に、参考になれば幸いです。
早めの対処で手遅れになる子が一人でも減ることを祈っています。

川崎病とは

  • 川崎富作博士がこの病気を見つけたので世界的に『川崎病』と呼ばれています。一時小児急性熱性皮膚粘膜リンパ節症候群とも言われていました。
  • 全身の血管に炎症が起こります。
  • この病気の原因はよくわかっていません。
  • おもな症状は、数日以内に出そろってきます。
  • 適切な治療を行えば多くの患者さんは解熱し、元の日常生活ができるようになりますが、時に心臓に後遺症が残る場合があります。

引用元https://www.jbpo.or.jp/kd/

5/30(日)
末っ子の100日祝い。とっても元気でご機嫌な一日だった。あーあー、うーうーよく喋り、にこにこ。動画も撮ってとても幸せな日だった。
まさか翌日から、大変な状態になるとは思いもしなかった。

発疹が出る

6/1(月)
夜、末っ子のお腹と背中に発疹があることに気づいたが、最近暑かったしまたいつもの汗疹かなと思い、お風呂上がりに軟膏を塗る。
この時点では熱はなし。

発熱、発疹が酷くなる

6/2(火)
発熱1日目
お昼前に熱っぽさを感じ、熱を測ると37.6℃
まだ生後3ヶ月なので体温高めなのかな?と思ったが、お腹の発疹か酷くなっていることに気づき、かかりつけの病院を午後一で予約。
待合室で熱を測ると38.6℃。熱が上がってきてしまった。
私はなんとなく突発性発疹かな?なんて思っていたが、診断の結果は突発性発疹ではなさそうとのこと。
血液検査の結果、炎症を起こしている数値が高いと言われる。
発疹や発熱の様子から川崎病の疑いがあるが、目安は5日間の発熱なので保冷剤などで体を冷やしながら様子を見てほしいとのこと。
明日(水曜日)は予防接種と手術の日なので明後日(木曜日)のあさイチで予約を入れて欲しいと言われた。
このまま症状が改善しなければ水曜日に他院への紹介状を書くので詳しく調べてもらってくださいとのこと。
万が一酷くなるようなら電話をくださいと言われ、家に帰る。薬の処方はなし。
お風呂は控えるように言われていたので入浴はさせず。21:50にミルク160mlを飲み、その後23時過ぎに嘔吐してしまうが夜中の3時に100mlほど飲めたので少し安心する。

6/3(水)
発熱2日目
お昼前、熱が下がらず発疹がお腹と背中全体に広がり、発疹と言うより全体が真っ赤になっている感じ。

この日の午前9時過ぎの写真。それまでまだらだった発疹がつながってきて全体的に赤くなってきている。

言われた通り体を冷やしながら様子を見ていたが、さすがに心配になり長男の幼稚園のお迎えから帰ってきたあと昨日受診してもらったかかりつけ医に電話をして様子を伝えるも、11:45で診療受付が終わっていると言われ(この時11:47)、心配なら他の空いている病院に行ってみてほしいと言われる。
ミルクの飲みやおしっこの出具合を聞かれ、いつもより少ないが飲んではいる、おしっこも出ているが下痢が始まっていると伝える。昨日の夜吐いたことも伝えたうえで、ポカリのような経口補水液をあげたほうがいいかと聞くと、まだ3ヶ月なのでミルクが飲めているならミルクで良いと言われ、引き続き様子を見ることに。診療時間外に電話を取ってくれたことに感謝して電話を切る。

夜、末っ子は相変わらず熱が高く、顔は真っ赤、手足は冷たく、背中と頭が異様に熱い。
泣く元気もなさそうで息が早く、あぁ…あぁ…と、うなされているような声を出して息をしている。熱を測ると39度台になってしまった。
22時頃、さすがにまずいと思い夜間救急に電話をかける。発熱から現在の状態、かかりつけ医からの話(明日の朝まで待って受診でも大丈夫と思うと言われたことなど)を伝える。
電話を受けてくれた方も最初は「コロナにかかる影響がないとは言えませんので、実際にそういう方もお見えになっていますので、それをご承知の上で来ていただけるのであれば…」と言われて夫とどうしようか…でも…と迷っていたら、電話越しに末っ子の辛そうな声が聞こえたようで、朝までここのままだとお父さんお母さんも心配でしょうから見せに来てもらった方がよさそうですねと言われる。
上の子が既に就寝中だったため、私は家で待機し夫に夜間救急外来に連れていってもらった。

夫から電話。
夜間救急で診てもらったが顔を見ただけでこれは危険な状態と判断され、大きな病院への紹介状を出すので大至急行って欲しいと言われたとの事。
心配で胸が張り裂けそうになる。何も手につかない。

夫はすぐに紹介先の病院へ。心拍が異様に早く、血液の量が非常に少なかった(高熱と脱水によるショック状態だ)と聞かされる。
あのまま家にいたら朝を迎えられなかったであろうと言われたらしい。それを聞いてショックで言葉が出ず、震えが止まらなくなる。

その後も夫からの電話のたびに最悪の事態を考えてしまい取るのが怖かった。
幸いにも一命は取り留めたがショック状態にあったため、まだ熱が高く余談は許さない状態とのこと。
喉から溶連菌が出たが、川崎病の疑いも払拭できないため両方とも視野に入れて治療を進めていくとの事。
また、今の時期なので念の為コロナのことも考えPCR検査もするとの事。(この時点で深夜1:30頃)
結果は朝の10時頃。万が一陽性だった場合に夫は濃厚接触者になるので病室から出ては行けないと言われ、私は夫の着替えや末っ子のオムツやミルクなどの最低限の物を家から持っていき、深夜に車を走らせ病院へ。結果が出るまで夫は一歩も外に出られないため病院内の自販機で飲み物を買って、持ってきた荷物と共にナースステーションに託す。
帰りの車の中で時計を見たら深夜2:30。心配で全く眠くはないが昨晩からの疲れが目の焦点が合わず、慎重に運転して帰宅。
祈ることしかできなかった。私の命に代えても息子をお守りください。そう祈りながら泣いた。
考えたくはなかったが、万が一急変した場合に夫からの電話に気づけるようにスマホを握りしめて寝る。不安でなかなか寝付けなかったが、いつの間にか寝ていたようだ。

6/4(木)
発熱3日目
何かあった時に備えて長男の幼稚園を休ませる。
9時過ぎに夫から電話。
PCR検査の結果は陰性だったので、私も末っ子と面会や付き添いができること、夫も病室から出られるようになったと告げられ少しほっとする。
夫の仕事道具や足りないものを持ってきて欲しいとの事。
一昨日受診したかかりつけ医が、うちが朝一に予約を入れなったことを心配したのかその後お子さんどうなりましたか?と電話をくれた。
先生の言うことを聞いて朝まで待っていたら死んでいたかもしれないと言われたと伝えると、そうでしたか…と。それでも心配して電話をくれたことには感謝して電話を切る。
11時。長男と病院に向かう。
子どもは病室に入れないため長男を夫に預けて私は末っ子と面会。
あぁよかった、生きてる…昨日は真っ赤だった顔が普通の肌の色になっている。まだ熱は高く目の充血が酷いので安心できる状態ではないのは見て直ぐにわかったが、それでも目の前にいる大切な息子が生きていてくれている、それだけで全身の力が抜けるような感覚になった。
ごめんね、もっと早く病院に連れてきてあげていればこんなに辛くならなかったのかな…と言ったらそれを聞いた看護師さんが「子どもは治るのも早いけど、悪くなるのも早いから、お母さん悪くないよ」と言ってくれる。
それでももっと早く別の病院に連れて行っていれば…と悔いは残る。
点滴をしているせいか少し顔がむくんでいる気はする。目に元気がない。でもミルクはいつもより少ないが飲めている。

夫がゆっくりしていいよと言ってくれたので14:30くらいまで面会させてもらった。
しかもこんなタイミングで初めての寝返り。待合室で待っている夫に写真を送ったら瞬間を見逃したと少し残念そう。まさか入院中に初めての寝返りに成功しちゃうなんてね、と、息子が熱を出してから初めて少し笑った気がする。

寝返りに成功しちゃった…笑

夫も寝不足で疲れた様子。しかもずっと付きっきりでお風呂にも入れてない。
この時点でしばらく入院になることは決まっていたため、今後の付き添いスケジュールを考える。
私は今日は一旦帰り、夕飯とお風呂を済ませてまた来て、夜から朝まで付き添いをし、夫には家でゆっくり休んでもらうことに。
翌朝長男を幼稚園に送ってもらってから病院に来てもらい、私とバトンタッチして昼間は夫が付き添い、夜から朝までは私が付き添うことでしばらく回してみることに。

長男と帰宅。お昼ご飯を食べていなかったが疲れと少しほっとしたのが重なったのか、急に睡魔が襲ってきたので少し昼寝をする。
しかし長男に起こされ30分程度で昼寝は終わり、少し散歩と買い物に出る。
いつもより早めに夕飯とお風呂を済ませて病院に向かう。それでも20時になってしまった。
夫とバトンタッチして末っ子に付き添い。
相変わらずまだ熱が高い。38度台~39度台をいったり来たり。解熱剤の座薬を入れても薬が切れるとまた上がってしまう。
熱が上がると苦しそうで見ていて辛い。
21時。ミルクを110mlくらい飲むが咳き込んで少し吐き戻す。タイミングよくタオルで受け止めたが、私の服とシーツが少し汚れたので拭く。今度は手足が異様に熱い。手足は昨日までは氷のように冷たかったのに、これはいい事なのかそうでないのかどっちだろう。血が通ってきたってことなのかな…いずれにしても熱い。
23時。解熱剤を入れる。
23:30。入院前は全く咳は出ていなかったがケンケン言う咳を時々するように。
再度咳き込んで嘔吐。今度は息子の服も汚れてしまったのでナースコールで看護師さんを呼んで着替えさせてもらった。
点滴のところに触れると痛そうに泣くので見てもらう。
少し腫れてるかもしれないと言われ差し替えてもらった。痛みがなくなったのか静かに寝始めた。

血漿交換療法開始、そして解熱

6/5(金)
発熱4日目→午後解熱
朝、お腹がすいたようで泣き始めた。ミルクは60mlくらい飲んだ。
解熱剤のおかげか少し熱は下がっているが、それでも38度台。

だいぶ顔色はよくなってきたがそれでもまだ熱は38度台

9時過ぎに担当の先生がきて説明してくれた。私が先生に直接会うのは初めて。夫から聞いていたが、先生の口からもここの病院に来た時はあと数時間で命を落としていたかもしれないと聞かされた。また、すぐに適切な処置をしたため1時間半程で命の危険は回避できたとのこと。
話を聞いている途中で夫が到着。2人で話を聞く。
溶連菌や他の細菌の可能性を考えて抗生剤を点滴しているが、病院にきてから2種類の抗生剤を最大量入れているが熱が下がらないため、細菌の可能性はそろそろ捨てる時期に入っている。そこで次に川崎病の可能性を考えていかなければならない。川崎病の診断は6つの主要な症状のうち5つ以上が当てはまると診断されるそうだが、息子の場合は「発熱、発疹、手足のむくみ、目の充血」の4つ。もう少し大きければ、発熱から7日目で川崎病の治療をしていくそうだが息子は生後3ヶ月とまだ小さいため早めに治療を開始しないと後遺症が残る可能性が高くなってしまう。川崎病と確定させるというよりも、他の可能性を否定していくことで川崎病と診断して治療を開始しますとのこと。
血液から作られた薬を使う血漿交換療法で治療を行うとのこと。
とても安全なお薬で、デメリットは蕁麻疹などが出ることがあることと、5年間は年に一度の検査をしてもらう必要があるとのこと。
早めに治療して後遺症を残すリスクを減らして欲しい、治療が遅くなり後悔してほしくないと言われ、私たちは治療を進めてもらうことに同意した。

10時過ぎに沐浴。発熱してからお風呂に入れていなかったので4日ぶりのお風呂。
そのあとミルクは120ml飲めた。
私は長男を幼稚園にお迎えに行くため夫にバトンタッチ。
心臓のエコーをとって、すでに心臓やその周りの血管に異常がないかを調べてもらったところ、今のところは問題なさそうとのことで一安心。
お昼からアスピリン(飲み薬)の服用を始め、午後から血漿交換療法を開始。どうか効いてくれますように…。

家に帰ったら疲れがどっと出てしまい少し昼寝…のつもりが2~3時間は横になっていたみたいで。病院にいるときは一緒にベッドで横なっているけど、いつもは朝までぐっすり寝てくれる末っ子もさすがに今は夜中に何度も起きるし、一人用の病院のベッドでの添い寝は狭くて寝返りもままならないし、深夜も早朝も定期的な検温などでも目が覚めるからまとまった時間寝ることができていない。
夕方、夫からの電話で血漿交換療法を開始して熱も治まってきたことを聞いて一安心。
夕飯と入浴を済ませて21時過ぎに病院へ。
付き添いを夫と交代して病室に向かうと、6時間前とは全く違う、スッキリした顔の末っ子がいた。

まだ少し赤い気はするが、ほとんど赤みは引き治療の効果があったことが分かる

体も熱くない、赤みも引いてる、目の充血もほとんど綺麗になってる!素人目に見ても明らかに効果が出てることがわかるほど。
一番感じたのは、目の輝きが戻ってきたこと。
「目が曇る」という表現があるように、まさにこの日の朝までは目が曇り明らかに元気がない目をしていたから。このまま死んでしまうんじゃないか…決して大げさではなく本当にそんなふうに思ってしまうほどだった。
あぁもう大丈夫だ…よくがんばったね、あともう少しだよ。安心したら涙が出てきて抱きしめながら泣いてしまった。
血漿交換療の点滴は丸一日かけて一気に体内に入れるとのことで、明日の昼くらいには終わるそう。

血漿交換療法2日目

6/6(土)
夜中は3時間おきの血圧測定や検温があったり、まだミルクもまとめて飲めないのでお腹すいたと泣いたりで2時間おきくらいには起きていたのでフラフラ…。
まだ今日のお昼くらいまでガンマグロブリンの点滴は続くが、末っ子はすっかり顔も体も目の充血もほとんど元に戻った様子。時折笑顔も見せてくれるようになってきた。

目の輝きが戻った!

点滴が繋がってるし、ちょっと不機嫌な時は多いけど(普段いい子すぎるくらい手がかからないからそう思うだけかも)それでも熱があったときに比べると機嫌のいい時間が増えてきた。
今日は蒸しタオルで体を拭いてもらいすっきり。
朝9時過ぎには行くねと言っていた夫から10時過ぎに着信。爆睡してて11時前には行くねと。夫も疲れてるよね。色々ありがとう。
夫が到着したので付き添いを交代し、帰りに長男と少し買い物をして帰宅。夕方まで昼寝して夕飯とお風呂を済ませてまた病院へ…。
このペースにも少しは慣れてきたかな。
夫とバトンタッチして末っ子の付き添い。数時間ごとの抗生剤の注射のために針は刺さっているが常時の点滴は外れていて身軽になっていた。もう見た目にはすっかり普通の状態。ただなんとなく少し元気がない気はする。
発症前はにこにこ笑ってくれたし、あーあーうーうーよくしゃべっていたのに今は口数が少なくほとんど笑わない。どうか以前の状態に戻ってほしい。

6/7(日)
点滴が外れたためか久しぶりによく眠ってくれたので私も少しまとまった睡眠がとれた。
末っ子は熱も上がらずミルクの飲みもよい。
11時ごろ夫が到着して付き添いを交代。その後はいつものパターンで、夕飯と入浴を済ませたあと夫とバトンタッチして私が付き添い。

6/8(月)
朝、担当医が説明にきてくれた。
血漿交換療法を行った結果、炎症を起こしている数値が劇的に下がっているので効果があったこと、川崎病と診断して間違いなかったとのこと。
川崎病という病気は、本来放っておいても2週間ほどで自然に治る病気ではあるが、炎症が激しい状態で放っておいていいものではない。また、後遺症が残る心配があるため適切な治療が必要な病気であるとのこと。
また、血漿交換療法で使ったガンマグロブリンは(たんぱく質の一種なので)体内で分解されてしまうので、炎症が治る速度よりも分解される方が速い場合は発熱という形で体に現れるので細かく体温を見ていく必要があり、もし発熱した場合は再度ガンマグロブリンを投与していく必要があること。
炎症の値がこのまま下がれば、明日から10日ほどの入院で徐々に薬を減らしていき、退院できるであろうという説明を受けた。

見づらくて申し訳ないが黄色くマーカーしたCRPという値が炎症の度合いを示すらしい
ここが0.5以下になってから10日間は入院が必要とのこと
6/5に5.07だった数値が血漿交換療法を行ったことで6/7には1.35になり劇的に減ったことが分かる

先生には、発症前より声を出すことが少なくなったことや、あやしてもあまり笑わなくなってしまったことが心配と伝えると、それだけショックが大きかったため回復には少し時間がかかるかもしれないということ、ただし脳に炎症などが起こっていることは考えにくいということ、いずれにしても少し様子を見ていく必要はあると言われる。
後遺症なく元気に回復してくれることを祈るしかない。

お昼頃夫と交代して私は一旦帰宅。当ブログをUP。少しでも多くの人に川崎病と脱水の怖さを知ってもらい、たくさんの命が救われてほしい。

夜、夫と交代して付き添い。

6/9(火)
よく眠ってくれて朝6時ごろに起きた。ミルクも順調に160mlを飲み干す。
昨日から看護師さんにはよく笑うのに私にはあまり笑ってくれない…苦笑
熱も下がっていて順調なのでアスピリン(飲み薬)の服用は今日から朝のみに。
今朝の血液検査の結果で炎症を示すCRPの値が0.5以下になっていれば、5日目から薬を減らすことができると主治医から説明を受ける。
夫から昨日の夜、先生に感謝の気持ちを伝えてほしいと言われていたので感謝の気持ちを伝えると「いえいえ、それが私の仕事ですから」と…。涙が出そうになった。先生は命の恩人です。
息子にはこの入院のことを伝え続けよう。将来この子が大きくなったときに、先生のような小児科医になってたくさんの命を救ってくれたらいいななんてぼんやり考える。
落ち着いた口調でわかり易く説明してくれて安心させてくれる先生で、とにかく不安しかない親にとってこういった先生は本当にありがたい。

手足のバタバタも、笑うことも声を出すことも多くなってきた。きっと大丈夫、大丈夫…、そう自分に言い聞かせる。

血液検査の結果が出た。0.5以下なら正常というCPRの値は0.26!すごいすごい!
結果が良かったので点滴の針は今夜22時に抜けるそう。血管から入れていたステロイドは飲み薬に変更して徐々に減らしていき、経過が順調であれば6/20(土)に退院できるとのこと。

あと、ひとつ気になっていたのが今後の予防接種のこと。
予防接種の問診票にガンマグロブリンを投与した場合という文字があったことを記憶していたので、併せて先生に質問してみた。
ロタやBCGなどの生ワクチンの接種は6カ月控えた方がいいとのこと。せっかく受けても免疫力がつかず意味がなくなってしまうらしい。
ガンマグロブリンはたんぱく質なので体の中で分解されるため、生ワクチン以外の不活化ワクチンは薬の投与が終わったら受けてしまってもいいとのこと。
ロタは全2回のワクチンが終わっているのでひとまずよかった。
BCGは当初の予定だと来月受ける予定だったのが12月以降になってしまう…。仕方ない。

免疫グロブリン療法を受けた患者さん

はしか(麻疹)、風疹、麻疹・風疹混合[MR]、みずぼうそう(水痘)、おたふくかぜのワクチンのスケジュールに気をつけてください。

6ヵ月を過ぎてから、すべての予防接種を通常のスケジュールで受けることができます。ただし、はしかが流行っていない時は11ヵ月を過ぎてから受けたほうがよいと判断される場合もあります。これは、免疫グロブリン製剤にはさまざまな抗体が含まれており、せっかく予防注射をしても免疫力がつかず、接種する意味がなくなる可能性があるためです。

引用元:https://www.jbpo.or.jp/kd/immunoglobulin04.html

6/10(水)
もう普段通りといってもいいくらいとてもいい調子。
笑顔もおしゃべり(喃語)も日に日に増えてきた。

6/11(木)
梅雨に入ったのだろうか。一日雨模様。
朝、先生よりとても順調にきているので予定より早めにおうちに帰っても大丈夫だろうとお話をいただく。
ただし、もちろん薬はきちんと飲むこと、少しでも発熱があった場合はまた病院に戻ってくることが条件。
一人っ子なら20日までいてもらうのだが上の子のこともあるので…と。ありがたい。
夫と相談して17日(水)に退院させてもらおうかと話す。あと一週間がんばろう。

夜また病院へ向かう。雨と風が吹き荒れるなか車を運転していたら、左車線を追い越して行った車からあがった猛烈な水しぶきで5秒くらい視界を奪われた。とっさに減速したが怖かった…。今死ぬわけにいかないんだから。

6/12(金)
朝、看護師さんが末っ子の手を見て「少し皮がむけてきてるね。これが川崎病の特徴なの」と。
見ると親指が少しだけかさついたように見える。
川崎病の代表的な特徴に手足が真っ赤に腫れる、というのがあるのだが、息子はこの症状は出なかったので皮むけないかなと思っていたけどむけるんですね~と話すと、手のひらとか足の裏の皮がズルッと全部むける子もいれば全くむけない子もいて色々だと教えてもらう。

ちょとピントが合っていないが親指がかさついてきた

先生には「15日の検査結果を見て問題なければ17日に退院したい」旨を話す。

プレイルームへの許可が出たのでお昼前に少し行ってみた。まだ何をするわけではないので広い空間でごろごろしただけだけど。

無事に退院しました!

その後も経過は順調で熱が出ることはなく、入院から2週間後の6/17に無事に退院できました。
引き続き一日2回の検温と、朝昼晩のお薬がしばらく必要ですが、このまま熱が出ませんように。

発症から治療後までをまとめたこのブログが、少しでも誰かの役に立ちますように。

これだけ小さい子(0歳3カ月)が川崎病になることはあまりないようですが、小さいがゆえに後遺症が残るスピードも速いらしく、小さければ小さいほど早めの処置が肝心だと言われました。

おかげさまでこんなに元気になりました

どうか一人でも多くのお子さんが救われますように、同じような症状が出始めていたら迷わず早めに病院へ行くことをお勧めします。